about

NULL na LIFE(ヌルなライフ/以下、当ブログ)は、主に著者の生き方や考え方を発信するブログサイトです。

著者プロフィール

当ブログを運営している、ぬるいぬ(@null_inu)と申します。2024年現在、普通のサラリーマンをしている40代男性。妻&犬1匹と一緒に関西エリアで暮らしています。

簡単に僕のプロフィールをご紹介します。

  • 年齢:40歳前半
  • 仕事:会社員
  • 住まい:関西エリア
  • 家族:妻+犬1匹
  • 趣味:写真を撮る、文章を書く、絵を描く、ギターを弾く
  • 好きなこと:昼寝、散歩、チル
  • 目標:ダウンシフトしてのんびり暮らす


幼少期から集団行動が苦手だった

僕は昔から集団行動が苦手で、最小限のコミュニティだけで生きてきました。

陽気なキャラではあったので、幼少期はそれなりの人気者として君臨していたものの、人のペースに合わせるのがとにかく嫌で苦手でした。

自分の思い通りにならないことがあるとすぐに腹を立て、家族や友達に当たり散らす体たらく。
とにかくわがままなクソガキでした。

ぬるいぬ

マジで扱いづらいヤツだったと思います。

自分の才能に気づき、幸せだった中学時代

小学生の時は割とフィジカルな遊びが多く、向いていなぁと思いながらもなんとなく周りに合わせていたのですが、中学2年生の時に「自分は人よりも絵を描くのが得意だ」ということに気がつきました。

もともと工作や美術の時間が好きだという自覚があったものの、それをどのようにアウトプットすべきかという具体的な方法論を持ちあわせていませんでした。

ある日、授業中の暇つぶしだと思ってなんとなく描き始めた漫画を友人に見せたところ、それを非常に面白がってくれて、同世代の中でちょっとした話題になりました(テーマは当時仲間内で流行っていた麻雀とバトル漫画を組み合わせたような内容)。

ぬるいぬ

子どもだと思って大目に見て欲しいのですが、内容はほぼ何かの漫画の丸パクリでした(笑)

1年ほど連載を続けていると画力もそれなりに上がり、最終的には後輩の代にまでレンタルされるほどの人気作になりました。仲間たちが毎週続きを楽しみに待っていてくれるのが僕の中でとても嬉しかったと記憶しています。

また、中3の学習発表会で披露したことをきっかけに、ギターを弾き始めたのもこの頃でした。父親がアコースティックギターを持っていたので基礎を教えてもらい、当時流行っていた「19」や「ゆず」をカバーして友達と歌ったりしていました。

この頃から、ぼんやりと「自分はなにかしらの表現にまつわることをしていくべきなんだな」と感じていました。周囲からも一目置かれ、自分らしく生きていられたように思います。とても幸せな中学生時代でした。

高校に入り、人生最大の挫折を味わう

恵まれた中学時代でしたが、高校に入ると状況が一変します。

僕が進学したのは市内でも有数の工業高校。クラスに女子が1人しかいないようなムキムキの男社会でした。なぜそこに進学したのかというと、中三の時の担任が推薦してくれたのと、体験入学が楽しかったから。今思えば、もう少し慎重に考えるべきでした。阿呆です、あほう。

体験入学では、ボタンを押すとLEDがピカピカ光ってランダムな数字を表示するサイコロみたいなものを工作させてもらって、ここに来れば毎日こんな感じのことをやらせてもらえるのだと勘違いしたのです。

ぬるいぬ

実際、僕が入学した学科はまったく別のものでした(笑)
これは誤算。

そしてもう一つ、大きな誤算だったのが、オナチュー(同じ中学校)からその学科に進学する人間が1人もいなかったこと。

新しいフィールドにおいて、自分の実績を知ってくれている人がいるという後ろ盾はなんとも心強いものです。が、華々しかった中学時代の僕を知る人間はそこにはいません。たった1人でコミュニティを形成していかねばならない状況に立たされたのです。そこでは恐ろしく過酷な現実が待ち受けていました。

周りは最初からオナチュー同士で固まっています。すでにコミュニティが出来上がっている中に、どうやって新参者の僕が切り込んでいけばいいのかさっぱり分からないのです。

「とにかくお調子者としてふざけていればみんなが面白がってくれるだろう」と半ばやけっぱちになった僕は、授業中にやたら大きな声でふざけた回答をするなどを試みるも、何やっても空回りし、連日のように大スベり。

挙げ句の果てにはクラスの番長みたいな野球部のマッチョから目を付けられ、「調子乗んな」「シバくぞ」「ウザい、そしてキモい」と言われ、気づくとクラス全員からハブられていました。

ぬるいぬ

人生で最大の挫折を味わいました。

幸い、イジメにまでは発展しませんでしたが、授業中に消しカスを投げられたり、教室を離れている間にライターでリュックを炙られていたり、嫌がらせ程度の仕打ちを受けることはありました。こんなこと、恥ずかしくて誰にも言えませんでした。

あれよあれよという間に萎縮し勢いを失った僕は、スクールカーストの最下層に転落。2年間ほどクラスメイトと口を利いてもらえない、暗く侘しい高校生活を過ごしました。

ぬるいぬ

完全に孤立してました。

2000年の大晦日。「やまだひさしのラジアンリミテッド」を独りで聴きながら、誰にも読んでもらえない漫画を描いていた時間は、いま思い出しても涙が出そうになります。なんのために生きているのか分からず、深夜に降り始めた雪の中を一人で歩きながら「このまま消えてしまいたい」と本気で思っていました。

中学時代の僕を知っている友人や後輩と街で会うと、変わり果てた僕の姿を見て困惑している人もいたほど。この頃の僕は人間に対する恐怖心が肥大化し、怯えていました。

大学生活で自分を取り戻す

なんとか生き延びた僕は、とにかく地元から離れて、誰も僕のことを知っている人間がいない場所に行きたいと切望し、京都の美術系の大学を志願しました。

細かいところはすっ飛ばしますが、苦労しながらも無事に受験は成功し、京都での新生活がスタートします。

高校時代の傷が癒えきらぬままだったこともあり、入学当初は会う人間が全員敵にしか見えず、友人を作るのに非常に苦労しました。

しかし、美術系に進学してくる人間の多くが僕と同様、心に何かしらの傷を抱えていました。

ぬるいぬ

当時、絵が上手かったヤツってのは「オタク」とか「キモい」とか、蔑まれてきた連中が多いですからね。

そんなシンパシーもあり、大学では同じ目標に向かって切磋琢磨できる良き仲間たちと出会うことができました。徐々に自分を取り戻し、人への恐怖心・警戒心もいくらか緩和されたように思います。

じきに自分のやりたいことも見つかり、その道で就職することになりました。
が、社会に出るとまた高校時代のような経験をするような気がして、正直あまり気乗りはしていませんでした。ただの勘ですが、そう強く思っていました。

「労働」に対する、拭いきれない違和感

4回生の2月後半、大学卒業を目前に控えたある日。僕は卒業制作展の搬入のため京都の美術館に訪れていました。作業がひとしきり終わると、同級生たちは近くのお店で打ち上げに行くようで、盛大に浮き足立っていました。

一方、僕はというと、就職先に搬入が終わったらバイトに来るよう言われていたので、死ぬほど嫌々でしたが打ち上げを断ってバイトへと向かいました。

ぬるいぬ

もうね、後ろ髪引かれまくりです(笑)

美術館から駅までの道中、偶然通った道が「白川筋」といって、3m幅くらいの小川が流れている小さな通りでした。

春の訪れを感じる午後の陽気の中、子ども連れで楽しそうに歩くお母さん。小川のせせらぎがキラキラときらめいていて、その景色が儚くて異常に美しいものに感じました。

ぬるいぬ

この景色をもっとゆっくり眺めることすら叶わないのか、と悲しくてたまりませんでした。

僕はこれから辛気臭くてどんよりとしたバイト先へ行かなきゃあいけない。
「どうしてこんなことになってしまうんだろう。」「なぜ卒業したら働かなくてはいけないのだろう。」と、労働に対して、拭いきれない違和感でいっぱいになりました。

案の定、就職で失敗

嫌な予感が見事に的中してしまうのですが、就職してからはうまくいかず、職場で孤立してしまいます。
初めて勤めた会社は少人数だったのですが、代表が死ぬほど怖い人で、毎日のようにオフィスには怒号が飛び交っていました。

もちろん、ペーペーの僕は上手く立ち回れず、高校時代の人間恐怖症が再発。威圧的な人間に免疫がなく、対峙すると頭が真っ白になりました。怒られる→萎縮する→ミスる→怒られる…という悪循環を繰り返して、状況がどんどん悪化していきました。

ぬるいぬ

今でこそよく分かりますが、ビクビクしている奴はナメられますし、攻撃の対象になりやすいんですよね。


もちろん、そんな職場では長続きせず1年足らずで精神を病んで退職しました。

労働の先に幸せはないと気づく

それから転職で2社ほど経験し、現在は最後に転職た会社に16年ほど勤め続けています。かなり色々なことを省略して結論をお伝えしますが、これだけの期間、会社員を続けた上で気づいたことがあります。

労働の先に幸せはない!

給料と引き換えに人生を切り売りする労働に辟易しながらも、一歩踏み出す勇気が持てずにもがき続けた30代を経て、この先に自分の幸せは存在し得ないと気づき、思いきって退職することを決意しました。

これからのこと

労働という無限ループから抜け出し、ようやく自分のために人生を歩むことを決めました
(現在は退職に向けて日々奮闘中です)。

将来的にはミニマリズムやダウンシフトという考え方を実践しながら、田舎へ移住したいと考えています。そして、自分にとって最適な生き方を模索していければと考えています。

このブログでは、ゆとりある豊かな人生を手に入れるまでの経験談を元に、人生に疲れた人に向けて、生き方や考え方、実践に向けて役立つ情報をお伝えできればと思っています。

少しでも、同じような考えを持つ人たちの生き方に寄り添える存在になれたら嬉しく思っています。