どうも、車の運転は超安全派の ぬるいぬ(@null_inu)です。
10年くらい前だったでしょうか。母と一緒に京都へ小旅行に行ったのですが、そこで偶然立ち寄ったカフェでの出来事を今でもよく覚えています。今回はそんな記憶の中のエピソードをお話ししてみようと思います。
とにかく仕事に疲れ切っていた
当時の状況を振り返ると、僕は20代後半くらいの年齢。大阪市内で一人暮らしをしながら日々の激務に追われてヘトヘトになっていた時期です。
毎日、晩飯を食べる暇もないほど騒々しく、深夜2時に家に帰れていたらまだマシな方でした。睡眠不足で血走った目、猛烈な空腹状態。帰り道に買ったコンビニ弁当を腹に流し込むエブリナイ。
思い出しただけでも吐きそうです。
晩飯が終わったらリベンジの時間。少しでも自分の時間を取り戻したくて、深夜から映画を見たりギターを弾いたりし始めました。気づけば朝を迎えて、そのまま出社することも多々ありました。
我ながらスゲェ気力と体力だなと思いますが、そうでもしないと人生が虚無すぎて気が狂いそうでした。
ただ、状況としては完全に異常だったので、肉体的にもメンタル的にも疲れ切っていて、常に「仕事辞めたい」と考えながら働いていました。
そんな僕の元へ、田舎の母が1週間くらい泊まりに来るというイベントがありました。何をしにきていたのかは記憶がないのですが、たぶん単純に遊びに来ていたのだと思います。
たまたま週末が休みに
相変わらず仕事の方は忙しく、深夜に帰宅する日々が続いていましたが、奇跡的に週末に2連休を取ることができました。
いわば「ただの土日」ですが、2日も休むなんて殆どできていませんでした。
せっかくなのでどこかに行こうかと母に言うと、「京都の高山寺というところに行ってみたい」と。というわけで、休みを利用して日帰りで京都に出かけることにしました。
いざ京都へ
その日は気持ちの良い秋晴れで、暑くもなく寒くもなく、遠出するには最高の天気でした。
京都駅まではJRに乗り、そこからはカーシェアで車を借りて目的地の高山寺へ向かうという計画を立てました。
久しぶりのおでかけで、心の潤いを取り戻す
京都駅で車に乗り換えて、順調にドライブ旅が始まりました。
朝から、何もかもが計画通りに進んでいく。なんだこの気持ちよさは。まだ半日も経っていないのに、既に過去最大級の充実感がありました。
仕事では必ず誰かからの横槍が入ったりトラブルが発生したり、思っていた通りのスケジュールで進行できることなどほぼありません。それが深夜まで続きます。
その不毛さ、理不尽さと比べたら、自分で決めたことを自分のペースで進行できることがいかに素晴らしいことか!
驚いたことに、このとき生まれて初めてそんなことに気づいたのです。日々の激務で荒みきっていた僕の心が、少しばかりですが潤いを取り戻しました。
高山寺参拝を終え、嵐山へ
主目的だった高山寺は午後過ぎに参拝を終え、駐車場の脇にある「とが乃茶屋」という小さな食事処でランチも兼ねて休憩を摂りました。茶屋のすぐ下を綺麗な川が流れていて、気持ちいい午後の日差しが差し込んでいました。
川の流れをボーっと眺めながら、いつまでもこの時間が続けばいいのに、なんてことを考えていました。
その後は特に予定を決めていなかったのですが、調べてみると渡月橋でお馴染みの観光地・嵐山がそう遠くないことが分かり、山道を下って向かうことにしました。
道中立ち寄ったカフェで、幸せな人生のあり方を見つける
正直に言うと記憶が曖昧で正確な場所を覚えていないのですが、確か嵐山へ向かうの道中でのことでした。「ド」が付くような山道の途中に突然「休憩 COFFEE」の看板が現れたのです。
安全を確認した上でスピードを緩めて見てみると、舗装された道から外れた坂道の上に小さなログハウスのようなものが見えました。どうもカフェらしい。母と会話し、休憩がてら寄って行くことにしました。
自然の中で暮らすオーナーの女性
スーパー・ドライビング・テクを駆使し、カフェ脇のスペースに車を停め中に入ると、気の良さそうなお姉さん(オーナー)がやさしめの「いらっしゃ〜い」で出迎えてくれました。
歳の頃で言うと50代半ばくらいでしょうか。傍にはよく懐いた猫もいました(あとで分かるのですが全部で4匹+犬も1匹いました)。
客は僕たちだけ。席はおそらく2〜3組(4〜6名)が限界かなというくらいの非常にコンパクトな佇まい。ややぎこちなく席に座り、ホットコーヒーを2つ注文。店内にBGMはなく、凛としていて、でも不思議と暖かな空気が漂っていました。窓の外から流れ込んでくる鳥の声や木々のざわめきがよく聴こえました。
会話がはずむ
ほどなくしてコーヒーが届いたのですが、お姉さんの「今日は観光ですか?」の一言から会話がスタートしました。ひとしきり世間話的なものを終えると、次第にカフェのことについて話題が移っていきます。
・お客さんは日に数人、少ない日はゼロ。
・夕方には店を閉めるし、気分で休む日もある。
当然儲かってもいないけど、それでいい。結婚はしてないけど、無理せず自然を感じながら動物たちと生きていることに幸せを感じるという趣旨のことを話されていました。
あくせくとお金を稼がなくていい。できないことを無理にやる必要もない。自分の住む世界とはまったく違う価値観があるのだと知りました。
話の流れで、お姉さんから「こんな辺鄙なところだけど、私はすごく好きやねん。いつまで続くかも分からないけど、10年くらいしたらこの小屋を継いでよ。」という思いがけない言葉が。
どう反応していいか分からず「いや、それ最高ですけどね。」なんてお茶を濁しましたが、冗談だったのかなんだったのか、いまだによく分かりません。
ただその時の僕は、落ち着いた場所で儲からないカフェを営みながら、ゆっくりとした時間を過ごすということに、強烈な憧れを抱きましたし、何よりその「ゆっくりとした時間」が今の自分に一番足りないものだと痛感したのをよく覚えています。
こんな幸せな人生もあるのだと、初めて知りました。
現在は当時と状況も変わり、少しばかり自分の時間も持てるようになりましたが、根本的に幸せと直結するような暮らしをできているとは思えていません。そうなんすよ、僕はまだまだ途中です。
人生とは旅
これは最近知ったことなのですが、なんでも人間は「行ったことがない場所に行くなど、探索の度合いが高い日にはより幸せを感じる」のだそう。米マイアミ大アーロン・ヘラー准教授による研究結果ですので、マジだと思われます。
なるほど確かに、思い返してみればあの日の僕は妙な多幸感に包まれていました。
そう思うとやはり、仕事に追われ会社の奴隷のようになっている状況では絶対に幸せになんてなれませんよね。
会社という閉鎖的で独裁的なフィールドから飛び出して、知らない世界を知るために色んなコストをかけた方が人生の幸福度は確実に上がります。
あれから随分時間が経ちましたが、仕事や会社は自分を幸せにはしてくれないと気づきました。
人生とは壮大な旅です。一つの場所に留まることで深まってゆくこともありますが、より多くの幸せを集めるために飛び出してみるというのも悪くないかもしれませんね。
僕はその覚悟を決めましたよ、あなたのようにね、姉さん。
なんつって!
それでは、今回はこのへんで。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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